公冠の歴史

100年以上続く、
公冠の理念

公冠株式会社は、明治期に大和絣の着物づくりからその歩みを始めました。「一般の人にも最高の品質のものを届けたい」という想いから、“公冠”という商標を掲げたことが始まりです。
絣の着物・繊維事業から、WEBデザイン・デジタルサイネージ。事業領域が移り変わろうとも、創業から現在まで一貫して受け継がれているのは「公」(一般の人にも手が届く)と「冠」(最高の品質)という理念です。

第1章
(1869年〜1904年)
大和絣(かすり)着物生産の時代

公冠の歩みは、明治2年(1869年)に始まります。
当時、奈良県高市郡天満村(現大和高田市)にて、大和絣の着物づくりをスタートしました。
まだ庶民にとって衣服が高価だった時代に、最高品質でありながら手の届く価格で届けたい、
その想いこそが、公冠の理念の原点です。

1869年(明治2年)

奈良県で、大和絣(かすり)の製造・販売業を営む。
(写真:大和絣)

1904年(明治37年)

体型の向上にいち早く対応し、幅の広い反物を企画・販売する。その商標に「公冠」とつけたことが始まりだった。
(写真:創業当時の様子、手袋生産の様子)

第2章
(1913年〜2001年)
繊維事業の時代

大正期に入り、日本の衣服は和装から洋装へと大きく移り変わっていきました。
公冠の創業者・髙井勇三は、「太陽が沈む商売ではなく、太陽が昇る商売をしたい」という信念のもと、
奈良県大和高田市から現大阪市北区西天満にて、繊維業を立ち上げます。
ここから4代にわたり、肌着を中心とした製造を軸に事業を拡大し、
1980年代後半にはブランド事業にも進出。
公冠株式会社の基礎を築きあげていきました。

1913年(大正2年)

髙井勇三(当時28歳)が大阪市にてニット業に転業し、鐘惣商店(現 公冠株式会社)を創業。
(写真:髙井勇三)

1915年(大正4年)

イギリスで「T-300」(当社の登録商標)が高く評価され、良質日本製肌着の代名詞と呼ばれる。
(写真:旧本社社屋)

1950年(昭和25年)

株式会社鐘惣商店(現 公冠株式会社)を設立。
(写真:当時の定款資料)

2代目 髙井宗雄(当時39歳) が代表取締役に就任。翌年、創業者の髙井勇三が監査役に就任。

1962年(昭和37年)

社名を「公冠メリヤス株式会社」(現 公冠株式会社)に変更。

1967年(昭和42年)

京都に生産拠点を設立。

1969年(昭和44年)

3代目 髙井宗和 (当時38歳)が代表取締役に就任。

1973年(昭和48年)

社名を「公冠株式会社」に変更。
(写真:当時の看板)

1985年(昭和60年)

大阪府箕面市の「COM ART HILL」に「公冠販売株式会社」(現在は解散)を設立。協力工場を集約し、「コウカンソーイング株式会社」(現在は解散)を設立。
(写真:ニットインナー「暖々」)

1986年(昭和61年)

東京営業所を開設。(現在は閉鎖)

1988年(昭和63年)

「ポロ・ビーシーエス株式会社」(現在は独立)を設立し、新たなブランド戦略を開始。

1993年(平成5年)

大阪市北区の新社屋(公冠ビル)を竣工。
本社を自社ビルに移転。

1996年(平成8年)

4代目 髙井宗一郎 (当時31歳)が代表取締役に就任。

2001年(平成13年)

繊維製品にかかわる営業全てを、「公冠グンゼ株式会社」(後にグンゼ株式会社が吸収合併)に譲渡する。
賃貸ビル事業をスタート。

第3章
(2002年〜)
WEB事業の時代

公冠株式会社は2002年からホームページ制作に本格的に着手します。
まだ企業がWEBサイトを持つこと自体が珍しかった時代、
その成長市場を追い風に公冠も歩みを加速させました。
創業当時から続く「一般の人にも最高品質のものを届けたい」という理念は変わることなく、 やがて、その技術とノウハウをもとにサイネージなどのWEBソリューションへと領域を広げ、 新たな分野へ挑戦し続けています。

2002年(平成13年)

WEBデザイン事業をスタート。

2013年(平成14年)

北海道札幌市に「株式会社カルチュアコネクト」を設立。

2020年(令和2年)

クラウドデジタルサイネージCMS
「PANELIZE」をリリース。
デジタルサイネージ事業スタート。

2023年(令和5年)

5代目 髙井勇郷 (当時28歳)が代表取締役に就任。